結婚式に行ってきた
この連休、京都に帰って親戚の結婚式に出席してきました。
場所は平安神宮。と、言っても有名な神社かどうかは分からない。
京都じゃ知っていて当たり前のことも他じゃ全く知らないこともある。誰でも知っている有名なところは八坂神社や伏見稲荷くらいだろうか。
平安神宮自体は遷都1100年を記念して明治に建てた新しい神社。目玉は大きな鳥居。
あと、御朱印帳。
四神を誂えた格好良いやつ。御朱印帳に見た目は必要ないと思っている方も是非一度は見てほしい。私は欲しかった。
私が持っている貴船神社のやつは無地であるので、平安神宮のやつはちょっと憧れる。
いや、貴船神社のやつもいいですよ。雰囲気はばっちりです。
結婚式には、祖父も参加した。
祖父はもう90を超えて少し思考能力が落ちてきた、耳も遠くなり大きな声で話さないといけなくなった、足も悪くなってほとんど車椅子だ。
そんな祖父の車椅子を押しながらとめどない話をしていた。
医者たるものは――。
祖父のこの言葉は私は好きだ
親戚の中で、多くの者が医学の道に進んだにも関わらず、残念ながら?私は医学の道へは進まなかったか。
今は少しなりたかったと思わなくもない。かもしれない。
医者ってのは、金持ちで、高慢でと思う人が多いかもしれないが、祖父はそうではなかった。
医学は多くの患者さんに行き渡らないとならないし、医師は患者の生老病死はしっかりと見なければいけないと。
いつも口を開けば、患者第一だった。
偽善と善の差は、私はよく分からないが、老いて尚この境地に達しているなら偽善ではないだろうなと思う。
何かを志し、それに命を灯したのが祖父の生き方だった。
この話を聞くと、いつも、胸の奥底から湧き上がるような感情が芽生える。
人の魂が燃えているのを見ると、自然と自分の魂が燃え上がるのを感じる。
自分も魂を燃やすような生き方をしないとと、再確認させられる。
祖父の年齢に達するまで後ニ、三回は人生やり直すだけ生きなければならない。
そう考えると、長い道のりだ。
けれども、なぜか、ニヤリとしてしまう自分がいる。